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取材レポート 「ウェアラブルとロボットの拓くミライ ~人類はほんとうに幸せになれるのか~」

地域ICT推進協議会(COPLI)セミナー「ウェアラブルとロボットの拓くミライ」

神戸大学大学院工学研究科教授 塚本 昌彦氏と大阪大学教授(特別教授)石黒 浩氏によるトークセッションの開催

 日時:平成28年5月13日(金曜) 16時45分~18時15分
 会場:ホテルモントレ神戸 2階楼明館〔神戸市中央区下山手通2-11-13〕
 演題:「ウェアラブルとロボットの拓くミライ ~人類はほんとうに幸せになれるのか~」

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塚本 昌彦 氏【モデレーター】

 1964年大阪府生まれ。工学博士。NPOウェアラブルコンピューター研究開発機構理事長、NPO日本ウェアラブルデバイスユーザー会会長。神戸市ウェアラブルデバイス推進会議座長。
 1987年京都大学工学部数理工学科卒業、1989年京都大学大学院工学研究科博士前期課程修了、シャープ株式会社、大阪大学講師、助教授を経て、2004年より神戸大学大学院工学研究科教授、現在に至る。

2001年よりHMDの日常生活での装着を始めて、現在に至るまで毎日着用している。ウェアラブルの伝道師として、ウェアラブルの未来について数々の予言を行いながら、産業及び民生におけるウェアラブルの利活用を広めようとしている。

 

石黒 浩 氏
  1963年滋賀県生まれ。大阪大学大学院基礎工学研究科システム創成専攻教授(特別教授)・ATR石黒浩特別研究所客員所長(ATRフェロー)。工学博士。
  社会で活動できる知的システムを持ったロボットの実現を目指し、これまでにヒューマノイドやアンドロイド、自身のコピーロボットであるジェミノイドなど多数のロボットを開発。
  2011年大阪文化賞(大阪府・大阪市)受賞。2015年文部科学大臣表彰受賞。
  最先端のロボット研究者として世界的に注目されている。

 

5月13日、平成28年度のCOPLI総会が開催されました。「ウェアラブルとロボットの拓くミライ ~人類はほんとうに幸せになれるのか~」と題した講演は、モデレーターに神戸大学大学院工学研究科教授の塚本昌彦氏、パネリストに大阪大学教授(特別教授)の石黒浩氏を迎え、総会後に行われたパネルディスカッションです。

 このひじょうに豪華な討論会は、おかげさまでたくさんの方々にご来場いただき、たいへん盛り上がりました。

 今回は、人間、人生、美、平和、幸せ、そしてアンドロイドの技術や未来について、Twitterの投稿を抜粋しながら、それをもとにお二人が議論を深めていく、討論の模様をお伝えします。

ウェアラブルとロボットの拓くミライ ~人類はほんとうに幸せになれるのか~

 

 塚本 わたしはウェアラブルをずっとやっていて、ヘッドマウントディスプレイ(以下、HMD)を装着しだして、もう15年になります。石黒先生とは20年以上前、シャープに勤めていた頃に知り合いました。先生が京大からいらっしゃって、若干おたくな話題で盛り上がった記憶があります。当時はお互い、将来こうなるとは予想していませんでした。石黒先生はわたしがHMDをつけるなんて思っていなかったでしょうし、わたしも石黒先生がアンドロイドを作るなんて思っていなかったのです。

 

 さて、本日は、石黒先生がマツコさんと一緒にやっておられる番組のように、テーマを選んでパネルディスカッションをしたいと思います。

 石黒先生のtwitterをみながら、コメントを抜粋したパネルを作ったので、それを選びながらそれぞれのテーマに沿ったお話しをしていきましょう。

 コメントを抜粋していて印象的だったのは、人間についてのお話しが多かったことです。わたしも同じく人間に興味があり、人間というものを考えながらウェアラブルの研究をしています。

 では、まず「人間とはなにか」というテーマからいきましょう。

人間とはなにか

 石黒 「人は自分が人間であるというだけで、ほかの生き物よりも偉くて尊いと思うようだが、本当だろうか?」「人間を特別な存在だと信じる人は人間について真剣に考えない」「人間は自分を客観視できる脳を持つ。ゆえに自分と他人、人間と動物の比較にこだわる。知的であるがゆえのジレンマ。そのジレンマをどうして越えられないのか?」

 塚本 「社会と言語と自分の脳に騙されているのにそれに気づいていない」

 石黒 ふたりともいっていることはだいたい同じですね。わたしは人間が好きだからロボットを研究しています。ロボットにそれほど強い思い入れはありません。ロボット好きの研究者は人間とうまくいかないのでロボットを研究していて、だから間違っても人間そっくりのロボットなど作りませんが、わたしは違います。

 

 塚本 人間はもちろんですが、わたしはロボットにもまあまあ興味があります。

 石黒 人間の意識が宿る場所を、ここだと指し示すことはできません。人間は内観ができないので、いろいろなものと係って、自分を見つけるしかないんです。

 日曜日の自分を思い浮かべてみてください。したことを10分おきに全部書き出したらほぼ9割、人間も犬や猫と一緒です。つまり、四捨五入すれば犬であり猫なんですよ。ゴキブリといわないだけマシですね。

 塚本 でも、人間は地球を支配しているし、やはり他の生き物より尊いんじゃないですか。

 石黒 遺伝子の仕組みにおいて能力が発展して他の生物を押さえつけてきただけです。支配者が偉いのか、尊いのかという話です。強ければ偉いのでしょうか。勝った者が偉いというのはあまり納得できません。

 塚本 他の者を支配するという意味で「偉い」「尊い」のは間違いではないんじゃないですか。

 石黒 そういう意味で偉いのは当たり前で、そこで終わってしまうとなにも学習しないじゃないですか。

 塚本 しかし、個々の人々はみんな人間として行動しているわけではないでしょう。人間社会のなかで、他の人を追い抜こうと努力しているわけです。

 石黒 「あいつよりも偉い」というのならいいかもしれません。今これを書いたときのことを思い出しましたが、ロボットよりも常に自分は偉いと思っている人がいるんですよ。でも、そんなことないでしょう。

 塚本 ロボットよりは人間のほうが偉いんじゃないですか?

 石黒 でも碁の世界ではロボットに勝てないじゃないですか。にもかかわらず、コンピューターよりも生きる価値があるんでしょうか。

 社会において価値のある命かということですよ。少なくともアルファ碁のコンピューターは50億円かかっています。あなたの生命保険はいくらですか?

 

 塚本 人間とは、社会とは、幸せとはなにかという話ですね。

 石黒 そうです。人間がいかに勝手に社会のなかで序列を決めているかということです。そういうことをあらためて考えなおすのが大事なんです。

 わたしは人間というか自分を知りたいんですよ。人間は犬やロボットより本当に上なのか、そもそも自分って何?ということを。

 塚本 根源的な問いかけが大事だということですね。わたしはゴキブリより人間の方が上だと思いますが…。

 石黒 長く生きるということ、種の保存という観点からみればゴキブリの方が上ですよ。実は地上なんてたいした世界ではなくて、地下に眠るゴキブリの世界の方がはるかに優れているかもしれません。

美とはなにか

 石黒 「人の見かけの美しさと、たとえば絵の美しさは同じなのか?彫刻の美しさと同じなのか」「美しいとはどういう感覚なのだろう。人との共感はそこにどれほど必要になるのか?美しいと皆が言うから美しいのか?絶対的な美はあるのか?」「美しいものと、芸術とは必ずしも一致しない。芸術において常に歴史的な評価を受けているのは、新しい表現方法を生み出すこと」

 塚本 「美とは本来自分にとってよいもののカタチを表す脳内概念である。ほかの人の美を模倣しているだけの人もいる」

 石黒 美は主観的なもので、絶対的な美を定義するのはとても難しいですが、美術には技術的な側面があり、新しい方法、技法を生み出すことに価値が置かれます。たとえばピカソはあのキュビズムという手法を生み出しました。だから偉い。それは技術にも美術にも共通することです。ただ、ピカソがキュビズムでいちばん上手い絵を描けるわけではありません。

 

美人とはなにか

 

 石黒 「顔の美人は特徴がない整った顔だと言われるが、どうも声にも当てはまりそうだ。匂いはどうなんだろう」「動きすぎない。しゃべりすぎない。相手の脳にある人認識モデルを喚起する最低限の情報だけを表現する。人は常に想像においてポジティブだから、そうすれば自然に美人になる。」「人間はすべてのモダリティにおいて人間らしくなければならない。でないと不気味になる。美人はすべてのモダリティにおいて、美人でないと不気味?になる」「美人は排泄行為をしないと思われがちだが、実際にもあまりしないかもしれない」

 塚本 「平均顔(人間らしい顔は美人である。自分の顔と違う顔も美人である。要するに良い子供を作るための生物本能に基づくものである」

 石黒 きれいな顔というのはつるっとしていて皺がなくて左右対称な、多くの人の平均を取った特徴のない顔です。つまり、多くの人の想像を掻き立て、それぞれが都合よく補完できる顔なんです。

 以前、年齢や性別をそぎ落とした人間そっくりのテレノイドを作ったとき、見る角度によって全然表情が違うことを発見しました。つるっとした顔に皺が寄るとすごく表情豊かに見えます。それぞれが違う良さを引き出せるんです。

 情報が足りない部分を人間はすべてポジティブに補完します。たとえば知らない人から電話がかかってきたら、わたしたちは相手を必ず美人かハンサムだと想像するのです。

 

 塚本 平均顔は美人だが、逆はそうでないとはいえないとわたしは思います。極端な顔の美人というのもありうるのではないでしょうか。たとえば他の動物と似た顔は美人でないと書いていますが、逆にいえば動物とかけ離れた顔の美人もいるのではないか。すごく目が大きくて線が尖った、平均顔でない特徴のある美人もいるのではないでしょうか。

 石黒 それは不気味の谷の話かもしれません。平均顔は人間の代表ですから、そこから離れ過ぎると動物になってしまいます。美人は周縁にいくと動物に近くなってしまうのです。人間の周縁を囲むようにありとあらゆる種類の動物がいるとわかったら、人間はやはり真ん中になるでしょう。

 塚本 社会の共通の認識としての美人は確かに平均顔かもしれません。しかし、自分のなかで美人と思うものは必ずしも平均的でないのではないでしょうか。美は個のなかにそれぞれあるというのがわたしの考えです。美とは、美人とはなにかという哲学ですね。

 石黒 世の中で美人といわれる人が美人、それが美人の定義です。「わたしは美人だ」と主観で主張されても困ってしまう。美も同じで、それは社会的な概念であり、全員が美しいと思うものがやはり美しい。絶対的な美はなく、時代に応じて変わるということは、要するに社会性があるということ。個人の趣味はどうでもいいんですよ。

 ロボットを作るときも、7割が美人と思うものでないと売れません。今世界一美しいロボットを作っていますが、研究者としては、主観で評価されるものにほとんど価値を見出せません。

 

 塚本 最後の「美人は排泄行為をしないと思われがちだが、実際にもあまりしないかもしれない」というのが面白いですね。

 石黒 願望です。

不気味なもの

 石黒 「田舎で育った私にとっては、ビル街の中の神社は部分的に人間らしい皮膚を持つアンドロイドのように感じられるときがあります」 

 塚本 「人間はいつもと少しだけ違うことには敏感だ。少しだけ違うことに対する違和感は人間の生存本能だ」

 石黒 ビルのなかの神社が妙にサイボーグっぽく感じられることがあるんですよ。ほとんど機械の体なんだけれど、一部に皮膚が残っているみたいな、なんとなくつぎはぎな生々しさを感じて。

 塚本 それは不気味ということですか?

 石黒 そうですね。田舎へいくとどこもかしこも自然な風景で違和感はありませんが、都会へ来ると突然つぎはぎのように神社や緑があって、若干不気味に感じます。東京へ行くと特にそうです。でも不気味さには慣れます。

ロボットについて

 石黒 「今、ある学会の懇親会で議論してます。電車の中にロボットがいます。皆、そのロボットに率先して席を譲ろうとします。そんなロボットを作りたい。どうすればいい?」

 「少し問題を発展させて、そのロボットが電車にいると、高齢者に自然に席を譲ろうと思えるようになるロボットとは」

 石黒 電車に乗っていても皆、高齢者に席を自然に譲ろうとしません。それをロボットでなんとかしたいと思ったんです。ロボットが率先して席を譲っていたらどうですか?人間として恥ずかしいと思いませんか?

 塚本 あまり(会場の)同意を得られていないようですが…この問いに結論はあるんでしょうか?

 石黒 ロボットが率先してモラルをけん引するようにならないかなとは思っているのですが、結論はありません。ただ、ロボットにはいくらでも社会的モラルをプログラミングすることができま

す。

 一方、人間はできて当たり前の社会的モラルを全然実行できていません。ならば死にかけたロボットを電車の中に入れておいて「おまえが譲ってくれないと俺は死ぬ」みたいなことを訴えかけるというのはどうでしょうか。

 たとえば子どもに「妊婦さんがここにいるのにおじちゃんどうして座ってるの?」といわれたら結構ぐさっとくるでしょう。ロボットにモラルを教えられるというのもかなり効くはずです。

 そうなれば楽しいじゃないですか。ロボットの方がモラルの高い偉い存在になり、階級が変わって、ロボットの世界がやってくるんです。そういうロボットをそのうち作ってやろうと思っています。

 塚本 電車にロボットが乗っているという設定条件からしてハードルが高いですが、だいぶ先の話しでしょうか。また、ロボットは電車なんか乗らずに自分で歩けという意見が出てくるかもしれません。機械は直せば直りますが生物は無理ですし、人間は生身で生物的な弱さを持っているわけですから。

 石黒 そうやって差別する人もいるかもしれませんが、ロボットも作った人が下手くそだったら機械的な弱さを持ちますし、お金がなければ壊れても直せませんよね。

ロボット三原則

 石黒 「人を傷つけないという判断が極めて難しい。それを完全に保証すると、人と一切関われなくなる。触られただけで、見られただけで傷つく人はいる」

 「ロボットよりも機能が劣る自動車は人を傷つけているのになくならない。それ以上のメリットがあるから。ならば、ロボットも多くの人がメリットを感じれば、ある程度は人を傷つけていい?」

 「いや、この原則は自律的な判断能力を持つものに対する原則。ならば人間にも当てはまる原則なのか?」

 「いや、これはロボットに対する原則で人間に対するものではない。そうか、この原則の意味は、ロボットと人間は違うと言いたいのか。ならば、人間とロボットの境界があいまいになったらどうなる?」

 石黒 要するにロボット三原則は無茶苦茶だということですね。ロボットだけでなくすべての機械に当て嵌まりますが、完璧に人を傷つけないなんてことはできません。

 たとえば車は年間5000人くらい人を殺しています。でも、5000人の命より自動車産業の方が大事なので、そういうバランスで成り立っているわけです。

  塚本 ロボットも人を殺しますね。

  石黒 人é[limit]

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